北海道大学病院内科Ⅰ(第一内科)

キャリアイメージ

2011年度 インタビュー

16年目 勤務医 白井 真也

内科I(第一内科)キャリア 白井信也
※本ページの内容は、2011年にインタビューした時点のものです。

略歴

北大病院内科I(第一内科)出身 白井真也

1996年 北海道大学医学部卒業
1996年 北大内科I(第一内科)入局
道内の病院で、呼吸器科・循環器科・消化器科・糖尿病・
血液科など多分野の診療に従事
2003年 国際協力に携わる
(シエラレオネ・タイ・スーダン 各半年)
2005年 KKR札幌医療センター循環器科 医長
2010年 市立千歳市民病院循環器科 主任医長
「直接人の役に立つ仕事に就きたい。」漠然と進んだ医師の道

北大医学部を選んだ理由は?

医学部を志したきっかけは、親の勧めでした。たまたま試験でいい成績を取ったことがあって、そのときに「医者になれ」と。自分も「医者はいい仕事だろう」と漠然と思い、同意したんです。
ただ、今振り返ってみると、その漠然とした中にも「直接人の役に立つ仕事に就きたい」という思いがあったのだと思います。
僕は関西出身ですから、関西にはない北海道の雄大さ、自然の豊かさへの憧れはありました。
でも「北海道じゃなきゃだめ」とは思っていなくて、何をしたいのかイメージができない状態ではありました。 正直なところ、大学に入ったあとですら、医者になるイメージを持ち合わせていませんでした。
どちらかというと、流されて医者になったような感じです。

内科I(第一内科)を選んだ理由は?

これまた漠然としているのですが、広い範囲で患者さんを診る勉強ができる科だったこと。
「どんな病気でも診れるようになろう」という教育をしている科だったところに、魅力を感じました。

自分はどんな医者になりたいのか、どう人の役に立てるのか。
目標を見失い国際協力ボランティアへ

国際協力ボランティアに行くきっかけは?

北大内科I(第一内科) 白井医者になって2、3年たった頃、仕事も覚えて、自分の思い通りに物事を進められるようになりました。それに伴って次第に鼻が高くなっていき、変な自信がついていきました。
ところが、さらに仕事を重ねていくうちに、「自分よりもはるかに深い知識を持った先生方が、世の中にはたくさんいらっしゃるんだ」ということがわかってきたんです。
同時に、自分個人の目標を見失っていきました。

すごく落ち込みましたね。
生きがいを見失ったんです。
それまでは一切考えたことはなかったんですが、この頃から、人生の目標を考え始めました。
自分はどんな医者になれるのか、と。
色々考えていくうちに、
「自分が医師として役に立てる場所は、発展途上国にあるのではないか」
そんな思いが強くなり、アフリカ行きを決意しました。

実際にアフリカへ行ってみて、いかがでしたか?

北大内科I(第一内科) 白井自分の無力さを、改めて思い知りました。
実際、環境も文化もまったく違う国では、ほとんど役に立ちませんでした。
そもそも、診る病気の種類が違いました。
マラリアなど、熱帯地方特有の病気の患者さんばかり押し寄せて来る。
自分はその知識を持ち合わせていなかったということです。
アフリカのシエラレオネで半年を過ごしたあと、熱帯医学の勉強をするために、タイへ行きました。

タイで勉強されたあと、スーダンに行かれていますが、どうでしたか?

少しは役に立てたかもしれません。
それはボランティアの基本でもあるのですが、ボランティアとして現地に入ったら、人の手助けができなければなりません。

国際協力ボランティアのスタッフは半年ごとに替わります。
知識がないまま行って、現地の人に教わることになってしまうと、現地の人たちにとってはマイナスになってしまいます。

最初は知識のないままシエラレオネに行き、現地の人に教わることになってしまい、結果的にマイナスになりました。
その後のスーダンでは、一つの歯車としての役割をまっとうできたかなと思っています。

この一連の経験は、「こんな風に生きていけばいいのかな」という「人生のイメージ」につながりました。

ノーベル賞をとらなくてもいい。
患者さんの病気をよくしたり、笑顔を発信するだけでも、世の中の役に立てる

「人生のイメージ」とは、具体的にはどのようなことですか?

国際協力ボランティアに行く前は、単純な言葉で表すと、
 「何のために生まれてきて、何のために生きているんだろう。
  僕一人、この世にいなくても、世の中は変わらないんじゃないか」
と思っていました。

しかし、海外で、極貧の生活を送る人たちを診ることで、考えが変わったんです。

例えば、何か一つ偉大な発見をして、ノーベル賞を取り、世の中に大きな影響を与える。
これは実感を持って「役に立った」と言えると思います。

でも、そうではなくて、僕が患者さんの病気をよくして、患者さんの家族が喜んでくれる。
ノーベル賞に比べたら小さなことかもしれませんが、そんなエネルギーも、世界に波及するものなんだと気づいたんです。

僕がアフリカに行ったのは、ちょうど携帯電話が爆発的に広がった時期でした。
電話線なんて無いんですが、彼らは携帯電話のおかげで世界中の人たちと話ができるようになりました。こうした科学技術の進歩によって、アフリカの人たちが突然、世界レベルの知識を持てるようになったのです。それがきっかけとなり、民衆が政府に反対し、ついには政府が転覆するに至りました。
携帯電話の開発という仕事に携わっているお父さんたちが、アラブ諸国の人々の役に立ったんだな、と実感できました。
それは別に、命を扱う医者でなくても構わないわけです。
でも、携帯電話を開発するお父さんが頑張るためには、お母さんの力が必要になります。また、子どもも元気でいてほしい。
そう考えると、私が患者さんやそのご家族に笑顔をもたらすことも、世の中の役に立つと言えるのです。

アフリカで医者として活動したことよりも、そういう視野の広がりを実感できたことこそが、自分の中で大きかったんだと思います。

「そうか、行って来い」とみんな片っ端から応援してくれたので、
勇気をもらえました。

国際協力に対する内科I(第一内科)のメンバーの反応は?

特別なことをするので、最初は反対されると思っていたのですが、西村先生をはじめ、先生方全員が応援してくれました。
「そうか、行って来い」と、みんな本当に応援してくれた。
それには勇気をもらえたし、力をもらえました。

北大内科I(第一内科) 白井内科I(第一内科)の医者全員に言えることだと思うのですが、皆、あまり自分の専門に固執せず、患者さんにかかわる疾患すべてに対する責任感が強いのではないかと思います。
また、そういう風に育ててもらいました。
今、私は循環器科で働いていますが、救急搬送の患者さんに対して動じずに対応できる知識があり、なおかつ、外来の慢性疾患にも広く接することができます。それは内科I(第一内科)で養った知識の上で、広く患者さんを診る自信が培われたからだと思います。

国際協力に行くための下地ができたのも、内科I(第一内科)だったからなんですよね。
これがほかの科だったら難しかったと思います。

今後の活動について

どこでどう働くか、ということにあまりこだわりがなくなりました。
明るく元気よく、みんなで協力し合って、発信し合えれば、世の中の役に立つのだと思うようになりました。

循環器、内科I(第一内科)の広い知識とその知識を生かせる職場で、何か発信できればと今は思っています。